文化遺産を維持・保存・公開する方法について研究しています。古墳やお城といった文化遺産には、石や木材など様々な素材の文化財がありますが、その多くは現地で保存し公開することが必要です。そこで、文化財を取りまく環境とその劣化メカニズムの関係を明らかにして、どのような環境であれば劣化を防げるのか、どのような方法でそのような環境を達成するのかを考え、現場の運用に貢献することを目指しています。
研究では、京都市の二条城を対象に、模擬障壁画や実寸大の襖をつくり色の褪色や本紙の亀裂のリスクについて検証しました。同時に、城内の温度・湿度環境を計測し、二条城内の環境そのものを再現するための数値シミュレーションの開発を進めています。また、大分県にある大分元町石仏を対象に、塩による劣化(塩類風化)のメカニズムの解明とその対策方法について実験ならびに数値シミュレーションを行っています。
私は茶道に携わる家に生まれ、日常的に文化財に囲まれる環境で育ったため、逆に文化財への興味があまりありませんでした。その中で、研究室でテーマを選ぶ際に教授が面白く語る姿をみて、「今の私には理解できないが、自分より人生経験の長い先生がこれだけ楽しそうに語るのだから、きっと文化財研究には私の知らない面白さが詰まっているのだろう」と思ったのがきっかけです。
建築の環境工学分野は、建物の中の環境をコントロールすることが初めにあり、次にくるのが、建物の中にいる人の健康や快適性です。しかし、建物の中にある“人以外のモノ”に対する快適性、つまり「文化財の快適性」にはあまり着眼してきませんでした。文化財が劣化することは現場の経験でわかっていましたが、そのメカニズムについては十分な知見がないのが現状です。
文化財を対象に研究することは、建築環境工学の研究対象領域を、さらに広げ得るのではないかと期待しています。
これまでは文化財を現地で保存・公開する際の手がかりがあまりありませんでした。例えば、窓からの採光は文化財の劣化要因になりますが、どの程度の採光量であれば問題にならないのか、建物の気密性を上げすぎると揮発性有機物質による劣化の温床になりますが、下げすぎると湿度が不安定になるため、どの程度の気密性を目指すのか、また観光客も温度と湿度の源になりますが、どのくらい人数をいれてよいのか、といった具合にです。
また、通常文化財は、空調設備によって温度と湿度を一定にすることで保存されてきました。しかし、収蔵庫には多くの電気代かかり、また、現状の厳しい湿度管理・温度管理が、果たしてそこまでの必要があるかも明確ではありません。もし、収蔵庫の外側で温度や湿度の変動を許した上で、どのくらいの設計条件にすれば、省エネルギーを担保しながら文化財を保存できるのかが分かれば、文化財の保存の仕方を変えていくこともできるでしょう。
文化財をその価値を維持したまま後世に継承することに対して、人々の理解を深めることが必要だと考えています。文化財の劣化抑制を最優先するのであれば、安定した収蔵庫のような保存環境で管理するのが最善です。他方、公開環境、すなわち文化財を人々が目にすることのできるような場所では環境の変動があるため、文化財は常に劣化の危険にさらされています。もちろん、環境の変動=劣化ではないため、保存環境のモニタリングを行い環境の適切性を把握することや、文化財が劣化していないかを確認することが不可欠ですが、率直に言ってしまうと、これらの作業には、美観上不適切と言われることも多いモニタリング機器の設置や、保守・管理のためのコストが必要となるわけです。しかし、これらの作業は文化財の適切な維持・継承には不可能ですので、こうしたことへの理解が広まると嬉しく思います。