後にル・コルビュジェとして知られる建築家シャルル=エドゥアール・ジャンヌレが、1910年に執筆を行った未定稿「La Construction des Ville(都市の構築)」の研究をしています。
「都市の構築」は、故郷のラ・ショー=ド=フォンをはじめとする都市形態論のケーススタディを通じた、ジャンヌレによる最初の都市計画の研究です。ただしその内容は後のル・コルビュジエの思想とは大きくかけ離れていました。この草稿を読み解き、繰り返し表れる「パルティ」という用語が都市構成要素の型であることを解明し、街区、道、広場で整理をし、それぞれの要素の評価軸を導きました。また、その思想的背景として、本草稿を執筆した究極目標は「愛郷心」を創出するためであったことを指摘しました。
もともと植物やお花が好きで、先生に勧められたジャンヌレの研究を始めてみたら、面白さを感じました。ル・コルビュジェは近代建築の巨匠として知られています。機能主義に基づいた近代主義の態度をもったユニバーサルなデザインが特徴です。とはいえ、一見それとは矛盾する地域主義的な態度もあることが知られており、特にジャンヌレ時代には、自然を観察し、郷土的な思想をもった有機的なデザインを行っています。
ジャンヌレの故郷は、もみの木スタイル(サパン様式)、植物のデザインといった有機的なデザインにあふれています。このような前近代的デザインも好きですが、モダニズムに段々と変化していく過程にも大きな関心をもっています。
ル・コルビュジェが提案した「300万人居住の現代都市」のような都市を構想し、近代で挑戦し、各地で繰り返されてきたのが現代とも言えます。こういうモダニズムの思想が構想される前に何が考えられてきたのか。高層ビルが立ち並び、それがスクラップ&ビルドされる現代において、もう一度前近代に立ち返ると参照しうるデザイン手法があるのではと考えます。
ル・コルビュジェには常に自然に関する着眼点がありました。いま、自然環境と調和する暮らしを考えるために、地域主義的な都市計画家としてのジャンヌレを近代建築史上に位置付け、ル・コルビュジェへの転換も含めて明らかにすると、大事な知見が得られるのではないかと思います。
草稿はジャンヌレの母語であるフランス語で記されています。ただしジャンヌレは、多くのドイツ語圏の文献を使用して執筆していました。これらの文献を参照するために、語学の必要性を感じています。建築学の研究には建築や都市に関する知見をもって読まなくてはいけないため、AI翻訳では難しいのが現実です。
「愛郷心」の観念のルーツとして郷土保護運動など、ドイツ語圏の社会運動の影響があることがわかっています。こういった社会的な動きと、物理的な建築・都市とのつながりを調べたいと考えています。「愛郷心」は、地域分散、テレワーク、多少不便でも地方に暮らすということが推進される現代において、再び参照できる観点ではないかと考えています。